

主な実績紹介:『共生社会の実現を推進するための認知症基本法』制定
衆議院議員 鈴木隼人 が執筆し、成立させた 認知症基本法 についての解説
2023年6月14日
自然災害の激甚化、国際情勢の不安定化、人口減少、格差拡大など、国家をも揺るがす課題をどう乗り越えていくか。
これまでになく大きな課題を抱え、新たな局面を迎えるこの国をどのように方向付けていくか。
今ほど私たち日本人の力量が問われる時代はありません。
私は、圧倒的な経済成長を実現し、圧倒的な包容力で国民の皆さんを守っていく、そんな日本を築き上げていきたいと思っています。
これまで、『認知症基本法』制定や『こども基本法』制定、エネルギー調達先の多角化、再生医療分野の規制改革、『健康経営銘柄』創設などをリードし、実現してきました。
政策力と実行力。このふたつを武器に、みなさんとともに「もっといい明日」を実現していきます。
日本再生に向けた重要政策
「豊かさを実感できる」経済へ
産業の「稼ぐ力」を強化する
国際機関(OECD)が行った読解力、数的思考力、問題解決力に関する国際比較調査において、日本人の能力は世界有数であるとの結果が示されています。かくも能力が高いはずの日本人がこれほど頑張って働き続けてもなお経済が低迷しているのはなぜか。
最大の原因の一つは、我が国がいつまでたっても低価格競争に明け暮れていることです。
質の高い製品やサービスを提供し、正当な対価を受け取る。日本のブランド力を復活する。私たちにはできるはずです。
私自身もこれまで、経済産業省の職員として、我が国産業の技術力やブランド力の向上に取り組んできました。
拡大する海外市場を取りに行く
一人当たり輸出額(国の輸出総額を総人口で割った金額)を、産業構造が似ている他の国と比較すると、我が国はドイツの3分の1以下、韓国の2分の1以下しかありません。その原因は、我が国のほとんどの中小企業が海外に売り込みに行けていないことです。
今後、国を挙げて中小企業の海外展開に本気で取り組み、一人当たり輸出額をドイツや韓国並みのレベルにまで引き上げることができれば、我が国の輸出総額は100兆円単位で増えてもおかしくありません。
私自身もこれまで、自民党の中に中小企業の海外展開を促進するワーキンググループを立ち上げて座長を務め、支援策の充実に取り組んできました。
これからの「稼ぎ頭」となる産業を創出する
新興国の台頭や情報技術の急速な進展などに伴って、国内産業の新陳代謝が加速しつつあります。そのような中、我が国の経済を成長させていくためには、将来有望な産業を世界に先駆けて育てていくことが重要です。
その有望性の判断要素の一つが「社会課題の解決に寄与するものであるか否か」です。地球温暖化対策の必要性から生まれた「再生可能エネルギー関連産業」が最たる例で、大きな社会課題を解決するものであるほど需要にも広がりがあって、産業として大きな成長を期待できます。
私自身もこれまで、健康寿命延伸に寄与するヘルスケア産業の育成に取り組み、『健康経営銘柄』や『健康増進型保険』を企画から実現まで手掛けるとともに、再生医療分野の規制改革を実現してきました。
「危機に強い」国家へ
災害から国民の生命と財産を守る
大規模な自然災害に襲われ、家屋の下敷きになってしまった人、火災に巻き込まれてしまった人、水に飲みこまれてしまった人、救助等活動中に殉職した人、災害関連死で亡くなった人。中には、本来助かってしかるべき人もいたはずです。
災害が頻発する中、一人ひとりの大切な生命と財産を守るため、国土強靭化、予知技術の向上、災害関連死対策などの取組を抜本的に強化する必要があります。
私自身もこれまで、被災者の生活再建の視点から、政府や報道機関と協議し、「生活必需品やサービスをどこで入手できるか」についての情報を災害のたびに報道するようにしてきました。
安全保障を抜本的に強化する
我が国への攻撃は、領海・領空へのたび重なる侵入やミサイル発射などの軍事的威圧、重要インフラの機能停止を狙ったサイバー攻撃、在外法人への恣意的な行政処分や我が国への重要物資の輸出制限などの経済的威圧、国際社会における我が国の孤立を狙った偽情報等の流布、在外邦人の嫌疑不明の拘束、国内社会を政治的に分断するような論争の提起など、手段が極めて多様化・巧妙化し、その被害も深刻度を増しています。
これらの攻撃から我が国の社会を守るため、あらゆる事態を早期に発見し対処できる体制を構築するとともに、これらを未然に防ぐための備えを万全にしておく必要があります。
私自身もこれまで、安全保障の視点からエネルギー調達先の多角化に取組み、『エネルギー戦略大綱』見直し(閣議決定)を実現してきました。
「希望の拠り所となる」社会へ
暮らしの安定を支える
かつて「一億総中流社会」とも言われた我が国において、経済的二極化が進みつつあります。「生活苦」は人々の暮らしから希望を奪うものであり、「不平等感」は社会の分断をも招きかねないものです。
国民の皆さんが安定した暮らしを送ることができるよう、賃上げ環境の整備、雇用環境の改善、税や社会保険の不断の見直し、貧困対策などに取り組んでいきます。
私自身これまで、貧困対策の政策立案を行う議員連盟の運営に取り組むとともに、政府に対して様々な政策提言を行 ってきました。
結婚・子育てや子供の成長を支える
希望出生率(結婚や出産の希望が叶った場合の出生率の水準)すら実現できずに急速な少子化が進む中、まずは結婚や出産、子育ての障壁を社会全体で取り払う努力が不可欠です。その上で、生涯未婚率の急激な増加への本質的な対応策も早急に検討する必要があります。
また、虐待やいじめの問題への対策も含め、子供たちが健やかに育っていける環境づくりに力を入れていきたいと考えています。
こういった問題意識から、私自身これまで、『こども基本法』制定や『こども家庭庁』創設に力を尽くしてきました。
声なき声に耳を澄ます
本当に苦しい時に誰かに助けを求められるのはごく一部の人に限られており、むしろ多くの人は声も出せずに内に秘め、耐え忍んでいるのが実態ではないでしょうか。そんな声なき声に、私は耳を澄ましていたい。全ての人に、尊重されるべき思いがあり、尊厳があると信じているからです。
これまで、認知症の人が希望を持って自分らしく暮らし続けられる社会の実現に向け、私自身が『認知症基本法』を執筆し、多くの仲間を集めて成立させてきました。
また、有志と力を合わせ、児童養護施設への支援にも取り組んできました。
◆経歴
1977年 8月8日生まれ
1996年 筑波大学附属駒場高等学校卒業
2000年 東京大学卒業
2002年 東京大学大学院修了、経済産業省入省
2014年 経済産業省退職、衆議院議員選挙に初当選
2017年 衆議院議員2期目当選
2021年 衆議院議員3期目当選
◆主な実績
『認知症基本法』制定 >>>こちらから
『こども基本法』制定 >>>こちらから
『健康経営銘柄』創設 >>>こちらから
エネルギー安全保障の見直し >>>こちらから
再生医療分野の規制改革 >>>こちらから
被災生活に不可欠な情報の提供の強化 >>>こちらから
『健康経営ガイドブック』策定 >>>こちらから
『健康増進型保険』創設 >>>こちらから
公務員制度改革 >>>こちらから
健康サービスの認証制度創設 >>>こちらから
◆主な役職
外務大臣政務官を歴任
金融大臣補佐官を歴任
行政改革大臣補佐官を歴任
衆議院 財務金融委員会 委員
衆議院 外務委員会 委員
衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 理事
認知症予防の会 代表
東日本大震災復興支援NPO『BLUE FOR JAPAN』理事
◆SNS等
LINE >>>こちらから
YouTube >>>こちらから
Twitter >>>こちらから
Facebook >>>こちらから
Instagram >>>こちらから
Blog >>>こちらから
◆著書
◆趣味
家族との時間、スキー(準指導員)、テニス、磯釣り、ダイビング(AOW)、プレゼント用アロマオイル作り、読書
◆好物
小説 『海賊とよばれた男』 (自らの人間力を磨くために何十回も読み返してます。主人公の「人のため」「社会のため」に尽くし倒す人柄は感動モノです!)
Blog
『鈴木隼人後援会』にご入会いただいた方には、国政報告会をはじめ各種イベントの情報をお知らせいたしますので、ぜひ後援会にご入会ください。会費は無料です。
ご入会いただける方は下記のいずれかまでご連絡をお願いします。
連絡先(議員会館)
住所:東京都千代田区永田町2-1-2 衆議院第二議員会館1215号室
電話:03-3508-7463
FAX:03-3508-3293
連絡先(地元事務所)
住所:東京都豊島区南池袋2-35-7-602号室
電話:03-6908-1071
FAX:03-6908-1072
メール:info@suzukihayato.jp
ここまでご覧いただきありがとうございます。
最後のコンテンツはエピソード集です。ご訪問ありがとうございました。
Have a nice day !!
幼少時代
1977年8月8日、午前10時に生まれる(8810が「はやと」と読めるのは偶然)。
下町の団地で育ち、近所の沼で友達とザリガニをとったり、暗くなるまでどろんこになって遊んだりした。
小学校低学年のころ、ニュースで「中曽根総理」という言葉を聞き、意味もわからないまま憧れて「僕はナカソネソーリになる」と言っていたらしい。
バレンタインデーにチョコをもらえなくて、くやしい思いをしたこともあった。
中学・高校時代
公立中学校に入り、塾に通いだしたが、はじめのうちはついていけなくて泣いていた。悔しくて、授業が終わっても席から離れず問題に取り組んでいた。その姿を見た先生が「あの子は必ず伸びますよ」と母に言ってくれたおかげで、折れずに頑張ることができた。
中学時代は野球部、高校時代はテニス部に所属していた。
受験をして筑波大学付属駒場高等学校に入ったが、ここでもついていけず、2回目の挫折感を味わった。
大学・大学院時代
アルバイトは、家庭教師、テニスのインストラクター、スキーのインストラクターなど「人を導く仕事」を経験した。
「人に夢を与える仕事」に興味を持ち、芸能事務所に所属。CMや舞台、雑誌のファッションページなどの仕事を経験した。
卒業旅行は、親友とタイやバリにバックパック。他国の異文化にはじめて肌で触れ、衝撃を受けた。
経済産業省時代
経済産業省では、やりがいのある仕事と優秀な同僚に恵まれた。中小企業政策、社会保障、行政改革などの分野で、この国をよりよいものにするための政策を企画・立案してきた。
東日本大震災の直後には、行政による復興のスピード感にもどかしさを感じ、仲間とともにNPO法人を立ち上げた。現在まで、被災地の児童養護施設への支援を行っている。
スキーにはまり、冬場の週末は山ごもりする日々をおくっていた。全日本スキー連盟公認準指導員。
写真が好きになり、きれいな写真を撮るために、よく山登りや旅行などに出かけていた。