【法律の5本柱】
近年、高齢化に伴って認知症の人も急激に増えています。
厚生労働省の調査では、80代後半の方の5割弱が認知症になるとされています。
もっと長生きすれば、発症する確率はもっと高くなります。
これからの人生100年時代、認知症はもはや他人事ではありません。
想像してみてください。
ご自身が認知症になったとします。
家や施設から外に出してもらえなかったり、心の支えであるはずの家族からは叱られてばかりだったり、場合によっては薬漬け、縛り付けといった酷い目に遭ったり。
そういう暮らし、受け入れられますか?
今この瞬間も、私たちの周りには、そういう境遇の中で苦しんでいる認知症の人が沢山います。
そして、明日は我が身なのです。
あまりにも多くの方が非人道的環境に置かれ、また、認知症の人だけでなく、多くの家族等がケアに苦しみ、日々の暮らしから笑顔が奪われている現状はおかしいのではないか。
「認知症になっても希望を持って自分らしく暮らし続けることのできる社会」を実現すべきではないか。
そんな思いから、この度、『共生社会の実現を推進するための認知症基本法』を議員立法として制定しました。
以下、この基本法の5本柱である、
〇 認知症の人の尊厳の尊重の徹底
〇 認知症に関する正しい理解の普及
〇 認知症バリアフリー化の推進
〇 パーソンセンタードケアの導入
〇 予防法・治療法等の確立
に沿って、法律の内容を解説していきます。
【認知症の人の尊厳の尊重の徹底】
一部の施設において、薬剤の過剰投与によって妄想、興奮、徘徊などの症状(BPSDと言う)が悪化したり、かえって寝たきりになるなど体調を崩したり、果ては薬剤によって意図的に心身をぐったりさせられているケースや、ベッドに体を縛り付けるなど過度な身体拘束が行われているケースが、現実に報告されています。
現行法令上、過度な身体拘束は禁止されているにもかかわらず、残念ながらそのような報告も散見されるのが実情です。
そこで、この基本法では、認知症の人の尊厳を最重要理念として規定するとともに、認知症の人の意向を十分に尊重しつつ良質かつ適切な医療・介護サービスが行われるべきこと等を規定しています。
また、本当はまだまだ街で暮らす力があるのに、不本意に施設に入れられるケースも多く見られます。
この基本法では、全ての認知症の人が自らの意思により、住み慣れた地域で自立した生活を営むことができるようにすることや、そのために必要な取組の方向性等を規定しています。
【認知症に関する正しい理解の普及】
家庭での日常生活においては、ついつい認知症の人の失敗を責めてしまったり、本人の意向を十分に尊重できなかったり、といったことが起こりがちです。
そのような対応による不安や不満が原因となって、妄想、興奮などのBPSDが悪化し、ケアが大変になり、負のスパイラルに陥っているケースは非常に多いと考えられます。
施設においてすら、入院患者をベッドに縛り付けるなどし、かえって認知症の症状を悪化させているケースもいまだにみられます。
このため、「BPSDが強く出る時にはじっくりとお話をして気持ちを落ち着けて頂く」といったような、認知症ケアに関する正しい理解を普及していかなければなりません。
周りの方が認知症を正しく理解していれば、BPSDに悩まずに穏やかな環境でケアすることができますし、また、認知症の人が本来的に有していた能力を引き出すことで、自立して生活する場面を増やすこともできます。
また、認知症の原因となる疾患は数十種類に及びますが、中には治療可能なものもあります。
老年性うつ、せん妄など、認知症に似た症状を引き起こす他の疾患もあります。
患者さん一人ひとりの病態を丁寧に診察し、治療可能な疾患を見極めるとともに、それぞれに適した治療やケアに導くことが肝要です。
そこで、この基本法では、認知症や認知症の人に関する正しい理解を普及することに加え、医療・介護人材の養成や資質向上を図ることを規定しています。
【認知症バリアフリー化の推進】
よく「両親の財布に大量の小銭がたまっていたら認知症に注意」などと言われます。
このように聞くと、あたかも認知症の人が硬貨の種類を識別できないかのような印象を受けますが、これを認知症の人に聞くと、「いつも支払いに時間がかかるため、後ろに並んでいる人がいる場合、高額紙幣でパッと払ってしまい、結果的に財布に小銭がたまっていく」のだということがわかります。
周りにはなかなか理解しづらい言動も、当事者目線で捉えると、そこにはちゃんと理由があるわけです。
そこに気付いた、あるスーパーマーケットが、一部のレジに“ゆっくり支払いたい人専用レーン”を設けました。
すると、認知症の人に限らず、様々な障害等を抱えた方に評判が広まり、遠方からもお客さんが集まるようになって、結果的に、そのお店の売上はなんと1.4倍に増えたのだそうです。
そういう視点で改めて振り返ると、標識や無人機など社会のあらゆるものが健常者を念頭に設計されていることに気付きます。
駅構内で迷ったり、券売機等の操作ができなかったり、ATMの扱い方がわからなくなったり、というのは認知症の人にとっては日常茶飯事です。
こういった課題は、医療や介護などの社会保障政策だけでは解決できないものです。
参考になる事例が海外にあります。
イギリスでは、業界ごとに『認知症フレンドリーガイドライン』を策定しています。
これは、それぞれの業界が、サービスや製品を提供するにあたり、認知症の人にどのような配慮を行うか、宣言をするものです。
そして、業界団体が宣言するだけではなく、その内容を現場レベルまでしっかりと落とし込んでいます。
このため、例えばバスの運転手さんが目的地に到着したことを知らせてくれたり、銀行のスタッフの方がATMから窓口に誘導してくれたりするのです。
ひるがえって我が国では、ある認知症の人が「私たちは世間から人として扱ってもらえないと思っているから、外に出るのが怖いんです。そうなると、家で死を待つだけの生活です。そんな暮らしが4~5年もたつと、身も心も朽ちていきます」と述べておられるように、社会生活の障壁は非常に高くなっています。
そこで、この基本法では、認知症の人が住み慣れた地域で自立して暮らすことのできるよう、業界団体等が『認知症バリアフリー宣言』を策定するのを国が支援することに加え、特に生活に密接に関わる事業者(公共交通事業者、金融機関、小売業者など)に対して認知症の人に配慮したサービスを提供するよう求めることなどを規定しています。
また、認知症の人が生きがいや希望を持って暮らすことのできるよう、認知症の人の社会参加の機会の確保や、認知症の人の雇用継続に取り組むことを規定しています。
とりわけ、社会参加や就労については、「社会や仲間と繋がっている時だけが素の自分でいられる時です」「認知症があっても自立心を持って生きられるようになりました」といった声が聞かれるほか、それを機に要介護度が劇的に改善した方もいるなど、大きな効果が期待されます。
なお、あるデイサービス事業者が、認知症の人の社会参加のための外出プログラムを提供しようとしたところ、ある地方自治体では認められたが、別の自治体では「デイサービス中の外出はまかりならん」と言われて認められなかった、という事例があります。
多くの認知症の人からも「自治体ごとに対応が異なり、我々の暮らしに著しい不平等が生じている」との声が挙がっています。
この基本法では、地方自治体が認知症施策推進計画を策定することとしています。
計画を比較すれば自治体による対応の違いは浮き彫りになりますし、計画の策定や改訂にあたっては認知症の人の意見を聴くこととしていますので、今後は様々な地域間格差を是正していくことができると考えています。
【パーソンセンタードケアの導入】
認知症の人のケアにおいては、認知症そのものの治療に加え、認知症や加齢に伴う様々な病態(低栄養、フレイル、サルコペニア、嚥下障害、肺炎、ポリファーマシーなど)やその他の疾患への対処、予防、生活支援、孤立対策、エンドオブライフケアなどを含めた、多職種が連携した全人的対応が求められます。
そこで、この基本法では、認知症の人がどこに住んでいても適切な医療を受けられる体制を整備することとしています。
また、認知症の人や家族からの相談に対し、個々の状況に応じた総合的なサポート(パーソンセンタードケア)を行える体制を整備することや、国、地方自治体、医療・介護サービス事業者等の多様な主体が連携することも規定しています。
【予防法・治療法等の確立】
認知症の人の中には、予防に取り組み、症状の改善や進行抑制に成功している方も沢山います。
しかし、世間では「予防には意味がない」との見方をする方も少なくありません。
これはなぜかと言うと、しっかりとしたエビデンスが確立していないからなんです。
今この瞬間も、日本全国の研究者が認知症予防に関する懸命な取組を続けていますが、残念ながらほとんどの研究結果は被験者数が少なすぎて、統計上有意と見なすことができないのが実態です。
全国でどれだけ多くの研究者が努力を重ねても、結果的に一部のコミュニティでしかその成果が認められない。
「ここを解決しないと全く先に進めない」という問題意識もあり、この基本法では予防を柱の1つに据えました。
そして、法律の中に全国的な規模の追跡調査の実施を明記しています。
これにより、これまで個々の研究者が小規模に取り組んでいた研究が、国のバックアップも得ながら1つにつながることになります。
エビデンスに裏付けられた予防法の確立に向けた、大きな一歩です。
なお、認知症予防を巡っては、科学的知見に基づかない製品やサービスの押し付けなどの社会問題も発生しており、こうした事案に即した十分な配慮や対応が必要であることは言うまでもありません。
このため、この基本法では、認知症の人の意思決定の支援や権利利益の保護にも取り組むこととしています。
認知症の治療法の確立も急務です。
現在もアルツハイマー型認知症に関する薬は存在しますが、その効果は症状の進行を若干抑制するといったものです。
この薬の存在自体がありがたいものではありますが、より抜本的な効果のある治療法や、アルツハイマー型以外の認知症に対する治療法も熱望されています。
この基本法では、このような医学・疫学的研究の推進を図るとともに、その研究基盤を整備することとし、また併せて、認知症の人の社会参加の在り方や認知症バリアフリーな社会環境などに関する社会学的研究の推進も図ることとしています。
【これから】
「国会における認知症の議論が不十分だ。だから政府や自治体の認知症施策も不十分なままで、多くの認知症の人や家族等が苦しみ続けているんだ。認知症に関する基本法がどうしても必要だ」
国会議員になって以来、そう主張し続けてきました。
私の主張が通り、一度は法案を策定して2019年に国会に提出しましたが、野党の審議協力を得られず廃案に。
その後も諦めず、関係者への説得を重ねに重ね、今回、ようやく法律を制定することができました。
全ての政党の賛同が議員立法の原則とされる中、一部政党の全面的反対により立法作業が一時的に頓挫したことなど、何度も直面した絶体絶命のピンチを振り返ると、ここまで辿り着けたことが奇跡のようです。
お力を貸して頂いた全ての方々に心から感謝申し上げます。
特に条文の起草においては、日本認知症本人WGをはじめ多くの関係団体や各政党の議員の皆さんから貴重なご意見を寄せて頂き、条文をブラッシュアップすることで、多くの方から歓迎される法律とすることができました。
この度の議員立法において、私は一貫して仲間集め、条文の起草と調整、関係者への説明と説得、会議の運営、工程管理など、ありとあらゆる業務を担わせて頂きましたが、この基本法は、まさに皆で作った、皆の思いがこめられた法律です。
今回、『共生社会の実現を推進するための認知症基本法』を制定することで、間違いなく、目指す社会の実現に向けた礎を築くことができました。
しかし、法律を作って終わりではありません。
この基本法に定めた趣旨に則り、まずは政府が認知症施策推進基本計画を定めることになりますが、この内容を充実したものにしていかなければなりません。
そして次に、それぞれの都道府県及び市区町村においても認知症施策推進計画を定めてもらわなければなりません。
この基本法上、地方自治体における計画策定は努力義務となっていることから、1つでも多くの自治体に協力してもらうための働きかけが必要です。
その上で、各自治体が策定する計画の内容を、この基本法や国の基本計画に沿った、充実したものにしてもらわなければなりません。
そして、政府や自治体の認知症施策を魂の入ったものにしていくとともに、民間事業者にも認知症バリアフリーの実現に向けて様々に協力をして頂かなければなりません。
在るべき社会の実現に向けては、まだまだ、このような1つひとつの積み上げが必要です。
これからも皆さんと共に力を合わせ、それぞれの立場から、「認知症になっても希望を持って自分らしく暮らし続けることのできる社会」を実現していけたらと思います。
2023年6月吉日
追記:この基本法制定後、総理大臣が「認知症基本法を踏まえて、新たな国家プロジェクトとして、認知症対策に取り組んでいく」と表明しました。
※ 法律の条文は以下のリンクからご覧いただけます。
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